ますなだ塾の思い出

真砂地域とは、平成8年(1996年)から平成13年(2001年)まで、僅か5年間のお付き合いでしたが、地域の方々と密な交流が出来て、今では第二の故郷と思うほどです。
徒然なるままに写真を振り返っていると、今のこの地域のことは未だ分からないままではありますが、22年間の歳月の経過を感じて、地域の方々に見てもらいたい気持ちになりました。

 写真は一枚ずつ見るより見易い動画仕立にしていますが、Windows11になってから使い慣れていたMovieMakerからClipChampに変わり、不慣れで時間がかかります。

横浜国際仮装行列(津田神楽社中)

新宿「ハイジア」前の公演を終えて横浜で一泊し、平成6年(1994年)5月3日の横浜国際仮装行列に参加しました。
現在は「ザよこはまパレード」と呼ばれコースも変わっていますが、当時は「横浜国際仮装行列」と呼び、山下町をスタートして山下公園の側を通り、伊勢佐木町を通って奥の山王橋まで、約4キロメートルを山車で行進しました。

山車は、低床トラックを仮装したもので、運転席の上に櫓を組んで、笛や太鼓のお囃子を配し、台車部分に舞台を組んで、その上で八岐大蛇を舞うという形で制作されました。
4キロメートル先の終点までは、ゆっくり歩くペースですから1時間以上を要しましたが、津田神楽社中の皆さんは元気そのもので、終了後すぐ次の公演現場に向かわれました。

地方情報発信を目的とした遠地公演ということで、3回のハードな上演が準備され、最後の上演は横浜駅南口、当時の「そごう横浜店」の催事広場で行われました。
ここでは、観客の中に白装束の女性がおられ、ちょっと不気味な雰囲気が醸し出されていたことを覚えています。

新宿で西石見のPR

 歌舞伎町の奥にあった大久保病院の跡地に、平成5年(1993年)東京都健康プラザ「ハイジア」が開館し、その1階にソニーが地方情報発信センター「アグナス」を開設しました。
当時、ソニーと付合いがあった株式会社アオキは、島根県西部の7市町村が益田地区広域市町村圏事務組合「綺羅星7」を設立して地域振興に注力されていることを知り、「アグナス」を紹介し綺羅星7の情報活動の支援を始めました。

「ハイジア」玄関前

株式会社アオキは、開港間もない石見空港のPRと横浜国際仮装行列への初参加を兼ね、益田市の石見神楽「津田社中」を東京へ招き、仮装行列の前日に「ハイジア」玄関前で公演を行いました。

「ハイジア」玄関前での「八岐大蛇」の公演は、沢山の人々を魅了し、「石見」を「いしみ」としか読めなかった人々から、いわみ神楽は良かったと評価を頂き、「いしみ」と読む人が少なくなったことが嬉しいことでした。

初めての益田市

中学生の頃だったと思うが、長兄に連れられSLに乗って益田駅で下車し、駅前のすし屋へ入って初めて握りずしを食べ、「こんなに美味いものがあるのか」と驚いたのが最初の益田市で、その後数十年過ぎ60歳近くになって勤め先の社長の名代で「ドラゴンフェスティバル」に出席するため訪れたのが益田市との出会いです。

ドラゴンは、石見神楽に出る八岐大蛇をイメージしたもので、地域の石見神楽社中を招き、一晩中開催するフェスティバルで、もちろん食べ物など沢山の出店があり、賑やかな催でした。小生は、子供の頃から石見神楽が好きで、毎年楽しみにして、ボランティアでお手伝いをしたものです。

ドラゴンフェスティバルは、持石海岸で行われ、開始前のひと時、夕日が日本海に沈んでゆく様子を写したものです。当時は今のようにスマホで簡単に撮影できる訳ではなく、準備を手伝いながらの合間に撮影したもので、自分としては良く撮れた写真として大切に保存しています。