東海自然歩道の足跡

 大阪で単身赴任していた30数年前、東海自然歩道を歩いて写した写真を振り返り、動画風に纏めた。
すでに忘れてしまったことなど多々あり、ネットで調べて追加をしているが、正確さを欠くものも多々あるだろう。

 東海自然歩道の西の出発点は箕面で東京高尾山まで続く全行程凡そ1,380Kmの自然歩道で、奈良県に至るまでは大阪府の周辺を周っているようで、交通の便がある所から次の便があるところまで一日中歩いて、次は前回帰った地点まで交通機関を利用して行きそこから一日歩くということを繰り返した。

 どこまで歩けるかを楽しみに一人で歩いたため、名所見物はせず唯々歩く事だけに集中して所々で写真を撮るという具合であった。
今思うと名所をゆっくり見物し写真を撮ればよかったと反省している。

 この試みは、一年後に東京転勤が決まり、宇治田原が最後となった。

https://www.youtube.com/watch?v=yO_F55zWUoA&list=PLCeIA8rQtRtvyvCOjofAIIHcO4p4L-b_R&index=2

ますなだ塾の思い出

真砂地域とは、平成8年(1996年)から平成13年(2001年)まで、僅か5年間のお付き合いでしたが、地域の方々と密な交流が出来て、今では第二の故郷と思うほどです。
徒然なるままに写真を振り返っていると、今のこの地域のことは未だ分からないままではありますが、22年間の歳月の経過を感じて、地域の方々に見てもらいたい気持ちになりました。

 写真は一枚ずつ見るより見易い動画仕立にしていますが、Windows11になってから使い慣れていたMovieMakerからClipChampに変わり、不慣れで時間がかかります。

横浜国際仮装行列(津田神楽社中)

新宿「ハイジア」前の公演を終えて横浜で一泊し、平成6年(1994年)5月3日の横浜国際仮装行列に参加しました。
現在は「ザよこはまパレード」と呼ばれコースも変わっていますが、当時は「横浜国際仮装行列」と呼び、山下町をスタートして山下公園の側を通り、伊勢佐木町を通って奥の山王橋まで、約4キロメートルを山車で行進しました。

山車は、低床トラックを仮装したもので、運転席の上に櫓を組んで、笛や太鼓のお囃子を配し、台車部分に舞台を組んで、その上で八岐大蛇を舞うという形で制作されました。
4キロメートル先の終点までは、ゆっくり歩くペースですから1時間以上を要しましたが、津田神楽社中の皆さんは元気そのもので、終了後すぐ次の公演現場に向かわれました。

地方情報発信を目的とした遠地公演ということで、3回のハードな上演が準備され、最後の上演は横浜駅南口、当時の「そごう横浜店」の催事広場で行われました。
ここでは、観客の中に白装束の女性がおられ、ちょっと不気味な雰囲気が醸し出されていたことを覚えています。

新宿で西石見のPR

 歌舞伎町の奥にあった大久保病院の跡地に、平成5年(1993年)東京都健康プラザ「ハイジア」が開館し、その1階にソニーが地方情報発信センター「アグナス」を開設しました。
当時、ソニーと付合いがあった株式会社アオキは、島根県西部の7市町村が益田地区広域市町村圏事務組合「綺羅星7」を設立して地域振興に注力されていることを知り、「アグナス」を紹介し綺羅星7の情報活動の支援を始めました。

「ハイジア」玄関前

株式会社アオキは、開港間もない石見空港のPRと横浜国際仮装行列への初参加を兼ね、益田市の石見神楽「津田社中」を東京へ招き、仮装行列の前日に「ハイジア」玄関前で公演を行いました。

「ハイジア」玄関前での「八岐大蛇」の公演は、沢山の人々を魅了し、「石見」を「いしみ」としか読めなかった人々から、いわみ神楽は良かったと評価を頂き、「いしみ」と読む人が少なくなったことが嬉しいことでした。

初めての益田市

中学生の頃だったと思うが、長兄に連れられSLに乗って益田駅で下車し、駅前のすし屋へ入って初めて握りずしを食べ、「こんなに美味いものがあるのか」と驚いたのが最初の益田市で、その後数十年過ぎ60歳近くになって勤め先の社長の名代で「ドラゴンフェスティバル」に出席するため訪れたのが益田市との出会いです。

ドラゴンは、石見神楽に出る八岐大蛇をイメージしたもので、地域の石見神楽社中を招き、一晩中開催するフェスティバルで、もちろん食べ物など沢山の出店があり、賑やかな催でした。小生は、子供の頃から石見神楽が好きで、毎年楽しみにして、ボランティアでお手伝いをしたものです。

ドラゴンフェスティバルは、持石海岸で行われ、開始前のひと時、夕日が日本海に沈んでゆく様子を写したものです。当時は今のようにスマホで簡単に撮影できる訳ではなく、準備を手伝いながらの合間に撮影したもので、自分としては良く撮れた写真として大切に保存しています。