なんとなく冴えない日々

 昨年10月末に山口市から益田市に引っ越しました。
自分たち夫婦の力で最後の頑張りを!と頑張った結果、二人とも疲れが残ったり、身体のあちこちに痛みが出たり、心身ともに大きなダメージを受けました。

 前回、津和野町から山口市に引っ越した時は、そんなことが無かったのにー
振り返ってみると、前回はまだ社会参加の希望があって転居して間もなく軽自家用車のナンバー変更やシルバーセンターへの就業など希望することが容易に叶いました。
今回は軽自動車検査センターが松江市で遠くて苦労し、コロナによる外出自粛は依然として続き、引っ越し先は4階から1階に変えたりして気晴らしとなるような借景がなくなり、その上通院先の変更、コロナワクチンの接種、運転免許の高齢者研修と続いたことも起因したものと思っています。

高齢者講習は益田ドライビングスクールで

 先日高齢者研修での認知症検査も何とか通過しました。
次の月曜日に運転免許の更新を済ませ、新たなテーマへ挑戦します。
85才、まだまだ元気で頑張るぞー!

新たな借景

リビングのベランダ越しに見える景色が好きで、借景と言って楽しんでいます。

一番長く住んだ横浜のマンションでは、5階のリビングから環状二号線を越え遥か先の東京湾越えに、房総半島が薄っすらと見え、夏には磯子や八景島の花火が見え、年末の箱根駅伝ではランナーに追従するヘリコプターの音が響いて進行の状況を想像させたりしました。
環状二号線の暴走バイク集団には閉口しましたが、全般的には大好きな借景でした。

20年住んだ
保土ヶ谷のマンションから見た借景

今度越してきたマンションでは高齢のため一階を選択し、遠方の借景は最初から諦め「少しでも季節を感じることが出来れば」という思いでしたが、入居時期が晩秋であったためか?枯れ枝が多く失望しました。

ベランダ越しの斜面の状況

ところが、春の芽吹きが始まると見違えるほどの借景に変わり、老いた我々に新たな元気をもたらし、勇気づけられています。

借景を望むリビング
芽吹きを始めて見違えるように元気になった借景

ニセアカシアの花が咲きました。

毎日見て楽しみな借景になりそうで、期待しています。

アンテナショップ出店

The Tree co 開店(1955~1958)

平成8年(1996年)3月にソニーが地方情報発信センター「アグナス」を撤退する情報を受け、株式会社アオキは東京都健康プラザ「ハイジア」の正面入口横の11坪の店舗部分を借り受けて、平成7年(1995年)11月に「自然派ショップ」を開設し、縮小した形で「アグナスの西石見情報発信」を引き継ぎました。

横浜国際仮装行列(津田神楽社中)

新宿「ハイジア」前の公演を終えて横浜で一泊し、平成6年(1994年)5月3日の横浜国際仮装行列に参加しました。
現在は「ザよこはまパレード」と呼ばれコースも変わっていますが、当時は「横浜国際仮装行列」と呼び、山下町をスタートして山下公園の側を通り、伊勢佐木町を通って奥の山王橋まで、約4キロメートルを山車で行進しました。

山車は、低床トラックを仮装したもので、運転席の上に櫓を組んで、笛や太鼓のお囃子を配し、台車部分に舞台を組んで、その上で八岐大蛇を舞うという形で制作されました。
4キロメートル先の終点までは、ゆっくり歩くペースですから1時間以上を要しましたが、津田神楽社中の皆さんは元気そのもので、終了後すぐ次の公演現場に向かわれました。

地方情報発信を目的とした遠地公演ということで、3回のハードな上演が準備され、最後の上演は横浜駅南口、当時の「そごう横浜店」の催事広場で行われました。
ここでは、観客の中に白装束の女性がおられ、ちょっと不気味な雰囲気が醸し出されていたことを覚えています。

新宿で西石見のPR

 歌舞伎町の奥にあった大久保病院の跡地に、平成5年(1993年)東京都健康プラザ「ハイジア」が開館し、その1階にソニーが地方情報発信センター「アグナス」を開設しました。
当時、ソニーと付合いがあった株式会社アオキは、島根県西部の7市町村が益田地区広域市町村圏事務組合「綺羅星7」を設立して地域振興に注力されていることを知り、「アグナス」を紹介し綺羅星7の情報活動の支援を始めました。

「ハイジア」玄関前

株式会社アオキは、開港間もない石見空港のPRと横浜国際仮装行列への初参加を兼ね、益田市の石見神楽「津田社中」を東京へ招き、仮装行列の前日に「ハイジア」玄関前で公演を行いました。

「ハイジア」玄関前での「八岐大蛇」の公演は、沢山の人々を魅了し、「石見」を「いしみ」としか読めなかった人々から、いわみ神楽は良かったと評価を頂き、「いしみ」と読む人が少なくなったことが嬉しいことでした。

初めての益田市

中学生の頃だったと思うが、長兄に連れられSLに乗って益田駅で下車し、駅前のすし屋へ入って初めて握りずしを食べ、「こんなに美味いものがあるのか」と驚いたのが最初の益田市で、その後数十年過ぎ60歳近くになって勤め先の社長の名代で「ドラゴンフェスティバル」に出席するため訪れたのが益田市との出会いです。

ドラゴンは、石見神楽に出る八岐大蛇をイメージしたもので、地域の石見神楽社中を招き、一晩中開催するフェスティバルで、もちろん食べ物など沢山の出店があり、賑やかな催でした。小生は、子供の頃から石見神楽が好きで、毎年楽しみにして、ボランティアでお手伝いをしたものです。

ドラゴンフェスティバルは、持石海岸で行われ、開始前のひと時、夕日が日本海に沈んでゆく様子を写したものです。当時は今のようにスマホで簡単に撮影できる訳ではなく、準備を手伝いながらの合間に撮影したもので、自分としては良く撮れた写真として大切に保存しています。

はじめに

このサイトは、九州で世帯を持って我儘な仕事の都合で九州を離れ、関西、中部、関東、中国地方などあちこち移転し、沢山の思い出を戴いたことを振り返るものとします。
そして今から、西石見の思い出を沢山つくって賑やかな暮らしの証とします。